おかゆ屋どっとコム通信

おかゆの歴史

中国で6000年、日本でも紀元前からの歴史が…
中国のおかゆの歴史は6千年ともいわれています。ここでは日本の「おかゆ」の歴史についてのお話しをします。 お米が日本に渡ってきたのは、紀元前1世紀ころだそうです。そのころの調理法は、「蒸す」と「煮る」の2種類で、蒸したものが今の「おこわ」、煮たものが「おかゆ」だったようです。
しかし、紀元前1世紀ごろの「おかゆ」は、今のおかゆより、堅く炊かれていて現在で言う「ご飯」のことだったようです。時は流れ、平安時代になっても、私たち日本人のお米の食べ方は、この「堅く炊かれたご飯=おかゆ」が主流だったそうです。
「ひめがゆ」「しるがゆ」
11世紀を迎える頃には「ひめがゆ」「しるがゆ」という、今でいう「おかゆ」が文献にも登場します。こうしたことから考えると、「おかゆ」は、千年以上にも渡り、日本人に食されてきた、ベーシックな食べ物といえます。
また、このころは、白米を煮た「白がゆ」のほかにも「粟・ひえ・麦」なども「おかゆ」にして食べられていたようで、あの有名な文豪・芥川龍之介の「芋かゆ」に描かれた 平安時代の「芋かゆ」は、ヤマトイモを煮込んで作られた「おかゆ」だったようです。この頃は、お米以外のものを煮込んで「おかゆ」を味わっていたようですね。
「江戸時代のおかゆ」と「民俗学からみたおかゆ」
江戸時代になると関東では おかゆ=白かゆ=病人の食べもの、というような感じになっていきますが…、 関西では おかゆ=朝食というように、それぞれの地方によって変化していきました。この変化にはご飯を炊く時間にも一因があったようです。
関東は朝にご飯を炊いて朝・昼と食べ 夜はそのまま、または、お茶漬けにして食べていた。しかし関西は昼にご飯を炊いて昼・夜と食べ 翌朝は残りのご飯をおかゆにする風習があったのです。
民俗学的には —— おかゆは年中行事など、晴れの日の食事として重要な意味がありました。その一つは、無病息災を願って1月7日に食べる七草かゆ。奈良時代には、すでに日本に伝わっていました。また、1月15日には小豆かゆを炊いて、これに先端をいくつかに割ったかゆ箸とよばれる木の棒を入れて米の付き具合で豊凶を占う、かゆ占(かゆうら)が行われたりもしていました。その小豆かゆについてはどんなに熱くても口で吹いてはダメ、という慣わしがあったそうです。

おかゆに入れる具材で身体の中からコントロールしてみましょう

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